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機嫌よくいる方法

いつも幸せな気持ちでいたいし、楽しい気分でいたい、て思うのに一瞬で嫌な気分になることがありますよね。

特に、気分屋の人や機嫌の悪い人を相手にするとすごく疲れる。

 

機嫌の悪さってうつるんですよ。

ビクビクして、相手の機嫌伺っていたり、相手が考えていることを想像しているうちに疲れちゃうし、そのうち腹が立ってくる。

もちろん、その人に対して「勘弁してよ~」てなるのが大半ですが、引きずられる自分にも少しがっかり。

 

ある程度、ビクビクしたり機嫌をとったりしてるとふと思いません?

「バカバカしい」て。

 

そんな時はこの言葉を心の中で唱えます。

「相手と同じ土俵に上がらない」

 

これは、教えてもらった言葉です。

真剣に受け止めると腹が立ったりショックだったりすることも、少し斜めから笑える視点で探すと腹が立たないんですよね~。意図しない人もいれば、わざわざ嫌な気にさせようとする人も残念なことにいるものです。そういう時には相手とは全然違うところを見ます!(実際、私の目は明後日の方向を見てます)

これで気持ちの切り替えも早くなりましたね。

 

あと、機嫌が悪い人の相手をしなくてはいけない時。

最近は気付かないふりをするようにしてます

「空気を読む」て必要な時もあるけど、こういう時はあえて「空気を読まない」ということを心掛けます。「絶対読まない!」ていう勢い。

 

すっごく威圧的な人にも気付かないふりであえて淡々と話します。

でも、そっけない態度をとるわけではないんです。

特に仕事の時にはこの方法を使います。

仕事では好き嫌いは言えないですからね。

 

いうなれば「心を置かない」て感じですかね。

プラスの感情もマイナスの感情も大きさがすごく関係すると思うんです。マイナスの感情が大きくなると自分の手に負えなくなるから、心を少し外すんです。それは相手に冷たくするということでもなくて、よい気持ちも悪い気持ちもなにも持たないような感覚なので、相手に特別に腹を立てられることもないんですよ。

心を置かないでやるべきことに集中するという感じですか。

そうしているうちに事は終わるんですね~(たまに魂も飛んでますけど)

 

一番嫌なのが、「この人のせいで嫌な気分にさせられた」と感じるとすごい嫌がらせを受けている気になること。

 

これが、何十年もかかって得た、私の心の平安を守る方法の一つになっています☆

教え方について思うこと

仕事でもなんでも口頭で説明するって難しいですよね。

話すだけならできるけど、それが「相手が理解できるように話す」となるとドラマのあらすじを話すだけでもすごく考えながら話してると思うんです、私は。

 

仕事を新人さんに教える時に注意していたのが

「背景と目的や理由を教えること」

「全体像を想像してもらって、細部を説明する」

これ、当たり前だと思うんですが意外と抜けていることってあると思うんですよね。

これ教えなきゃ、あれも教えなきゃ、なんてなっていると自分の中でつながっていても相手にとってはバラバラな情報になっていたり。

 

こう考えたのは30歳を過ぎてからですかね。

元々単純記憶が不得手なんですが、興味がないものに対しては特に覚えられない!!て感じになって、でも日々新しいものに触れていくとなった時にふと思ったんです。

昔、読んだ「脳」についての本で、加齢と共に単純記憶する力というのは低下するけど、記憶力が低下するのかというとそうではない。

年齢を重ねて得る経験によって脳の中にはシナプス(接合部分)が増え、その経験と組み合わせて記憶をする、しやすくする、とかいう意味だったかな?(今度探して書き直すようにしますが)

それを読んだ時は「へ~」程度だったんですが、自分が実際に経験すると理解できるようになってきました。

 

例えば、

「このケースはこれです」

みたいな説明だとそれだけしか覚えられないけど

「このケースはまずこういうことなので(状況や原因)、これをする。なぜこれをするかというと、こういうわけ(流れと理由と結果)です。」

 

これは職種によって変わると思うんですが、私個人としてはこうしてもらった方が覚えやすい。なぜならイメージができるから。

仕事って色んなことが関係しているからイメージすることによって、自分のするべきことが理解しやすいし、判断しやすくなると思うんですよね。そうすると疑問も出てくるし。

 

当たり前のことだよね、とか思いながらも、ちょっと考えてしまったのでした。

 

母との関係

今が一番、穏やかに母と接することができていると思います。

 

「毒親」とか「娘に依存する母親」とか、母親と娘の関係というのはまた特別なものであると感じます。

実をいうと私の母もどちらかというと依存型。

少し天然なところもありますが、それとは別に誰かといたい人なんです。

進学等で家を出て行った兄弟達とは反対に、実家天国だと思っていた私は、家を出る必要性も感じず実家に住み続けました。

でもある時、ふと一人暮らしがしたいと思ったのですが、その時には母に老いが見えてきて一人残して行くのがためらわれ、家を出たいということは母を捨てていくような気がして実行に移せませんでした。

 

それなのに、家に一緒にいても、母との会話は少なく、自分の話ばかりをする母を面倒くさいと感じたり、自立心がないと感じられた(そんなことはないと思いますが、今となっては)時には苛立ったり。

自分が家にいなくてはいけない状況、それは先に出て行った兄弟達にも腹立たしいと思ったこともありました。

 

なのになぜか最近、母との関係がすこぶるいいんです。

「母に苛立たない。」

この一言に尽きます。

それにしてもなんて自分勝手な言葉なんですかね・・・

 

きっかけは、思い当たることがあるんです。

「母を大事にしよう。母より長く生きて看取ってあげよう。」と思ったことです。

別に大したことは考えてないんですが、こう思ったのも理由がありまして。

学生時代、少し引きこもっていて不登校だったこともある私だからか、母は私がいい歳になっても「生きていてくれるだけでいい。」無職になっても「朝起きて規則正しく生活してくれるだけでいい。」と言ってくれます。

「何を悠長なこと言ってるのよ」なんて軽く流してましたが、よく考えれば、これって究極だな、て。

それまでは結婚したいとか、多少は仕事を頑張りたいとか、色々考えていたのに、そういう気持ちが消えてしまったんです。なんか、本当にどうでもいい、て。

そもそも私は母を大事にすることさえしてなかったと思ったんです。

母親に育てられ、長い時をずっと過ごしてきたはずなのに、母と私は驚くほど価値観も考え方も違い、どちらかといえば気が合わない。よくケンカもします。

そして、母とケンカした後には決まって罪悪感を感じていました。

年老いた母に優しくできない自分を許せなかったし、なんでも頼ってくる母のことも嫌だった。

でも最近、母に苛立ってもいいや、て。そういう自分を許すことにしたんです。そうすると母のことも許せるようになって。

まあ、いいやって。

いい娘でいようと思ってもできないから、とりあえず、母より長く生きてよう、て。その程度でいい、て。

そう思ったらなんだか反対に母に優しい気持ちが持てるようになったし、今まで本当は自分が母に依存していたんだとも気付きました。

ハンカチが裏返しで畳まれていたのは年老いて目が見えなくなっているからだし、好きな家事しかやりたがらないのも身体が思うように動かなくなったから。書類の管理が全然できないのは、そういう性格だから。

 

それをわかってる、と言うのではなく、「じゃあ、一緒にやろうか?」とか、「苦手なことは私がやる」と言えるようになってやっと少し母の老いも含めてほんの少し受け入れられるようになってきたのかな、て思うんですよね。

そうすると自然と母に感謝の言葉が言えるようになってきました。私が「ありがとう」と言ったり母を褒めるとすごく嬉しそうな顔をするんです。

そこで今までの自分の至らなさを反省すると落ち込むこともあるけど、忘れないようにしよう、と思ってます。

仕事がつらい時

仕事はやめるべき時と続ける方がいい時があると、個人的には思ってます。

私は就職氷河期の時代でして、内定がもらえないまま卒業しました。ただ、困ったことにその当時はそれほど真剣には考えてませんでしたが、やっぱり新卒で入社しておいたほうよかったと今は思います。わからないものとして基本を教えてもらえるし、社会の仕組みを知ることができるので。

その後、契約社員や派遣などで働いていましたが、やめる理由はいつも「嫌なことがあって」辞めていました。

でも、20代の真ん中を過ぎた頃から「嫌でやめるのはもうやめよう」と思ったんです。

「嫌」ていろいろあるけど、原因を相手に求めることが私が考える「嫌」てこと。自分の中に出た時はただの辞め時かな、て。

「嫌」を簡単に言うと、「不満」でしょうか。

例えば、「仕事がつまらない」とか「この仕事は好きじゃないし苦手だからやりたくない」とか「上司が働かない」とか。

反対に辞め時かな、と考えた時というのは「就業時間が長いからしんどい」とか「通勤時間が長くてつらい」とか「仕事が忙しくて周りにもあたって自分のことを嫌いになりかけてる時」とか。反対に、やりたいことなどがはっきり見えている時ですね。

これ、前半部分、甘えてるように思えますが元々体力がなくて疲れやすい自分には「拘束時間が長い」や「通勤時間が長い」といった仕事は合わなかったんだ、と後々考えました。これは自分が今まで働いてきて一番優先するのが「休み」といったことだと気付いて分かったことではありますが。

転職を繰り返してわかったことは不満をもって嫌でやめても同じことの繰り返しということ。何かしら不満を見つけてそれに向き合うことなく次に行くから一見違った理由のようでも同じように不満に思ってやめる。

でもね、会社環境がブラックとか、職場にいじめがあるなんて話ならすぐにやめるべきです。

人間関係に悩むことはどこでだってある。でも程度を越しているならそこから逃げ出さなきゃいけないんです。

心がすり減って冷静に考えられなくなって自分のことを軽んじるようになるから。

自分て大事なんですよね。家族や周りの人が自分を思ってくれるということは、自分は自分個人のもののようで自分だけのものじゃないんだと温かさを感じます。でもそれとは別にたとえ周りの人と繋がりを感じなくても、むしろ感じなければ余計に自分の味方を自分だけはしてあげなくてはいけないと思うから。

自分をダメだと思うことほどつらいことってないんですよね。

人がつける傷より自分でつける傷はずっと残っているので。

 

だから、少し仕事行きたくない、なんて何度も頭をよぎった時には徹底的に考えてました。「これは不満なんだろうか?それとも?」て。

ただ、仕事の「大変さ」を乗り越えると、前回の辛さがなんでもないことに思える程度に自分の成長を感じさせてくれたのは大きな財産だと今も思います。

やめるべき、続けるべきとは一概に言えないけど、これまでの時間で自分の中の一つの目安はできていたんだな、と思いますね。そのお陰で大分楽に生きられるようになったのかな。

 

 

 

7年【備忘録】

あの未曽有の大震災からもう7年。

ここ数年のことのような気もするけど。

あの時、私は何が起きてるのか全く理解できていませんでした。

体験したこともないような大きな揺れに、自分の身を守るために落ちてくるファイル類を同僚と必死で抑え、揺れの合間にすぐに建物の外に出されました。しかし、上着を持ち出す余裕もなく雪が降る中、どうなるのか震えて待っていましたね。

それから一旦、職場に戻りましたが、財布や携帯といった貴重品は持ち出せず身一つで家路につきました。

当然、電車は走ってはおらず、真っ暗な夜道をただ必死に歩きました。車はみんな止まってくれたり、道を譲ってくれ、本当に今考えてもありがたかったと思います。

途中、空を見上げたら、すごくきれいな星空が見えたんです。

でも、同僚と無言で一生懸命歩いている状態で、「星がキレイだよ」とはどうしても言えなかった。不謹慎な気がして。既に結構な距離を歩いて疲れていたのもあったし、水道が壊れていたのか道路はところどころ水があふれていたり、足元のブロックも隆起していて注意をしなくてはいけない状況だったから。そして何よりも、微かなガスの臭いがしたため早く離れなくては、という焦りもあったんです。

でも、同僚の一人が「星がすごくキレイだよ」て言ってくれたんです。そしたら、他の子も「本当だ」とみんな一緒に空を見上げて、そして、少し笑ったんです。

すごく嬉しかったのを覚えています。

その後はなんとか家に帰れはしましたが、ラジオから聞こえた惨状をきき、またわけがわからなくなりました。

だって、私の家からそう遠くない海岸ですでに津波による被害が出ていたので。

翌日、スーパーに食料品を買うために並んでいるところにどこかの新聞の号外をもらい、初めて災害の大きさを知ったのです。いや、何が起きたのかを知ったんです。

夜通し聞こえたヘリコプターの音は救助のためだったのか、とぼんやり考えてました。

海岸から遠い我が家や家族には被害はなく、それは純粋にありがたかった。

でも、周りはそうではなかったから、罪悪感さえ感じました。

電気や水、ガスが全て復旧したのは約1週間後。久しぶりに入ったお風呂で泣きました。お風呂に入れることがこんなにもありがたいなんて、て。

震災の翌日、突然、生理がきて、そのうえ、ヘルペスにもなって「なんでこんな時に」と思いましたね。全然予定日じゃないのに、て。

それからしばらくして、友達が「止まってた生理がきた。でも正直、お風呂に入れない状態だったからよかった。」て言って、二人で笑いました。ストレスからなのか同じように生理がこない同僚は多かったんです。

その時になんでか、「あぁ、震災を受け入れられた(起きたことを信じられた)」と思いました。

テレビも見られなかったし、被災地が見える場所でもない。ボランティアで行った時も「津波の跡」は見えたけど実感がなくて。

新聞を読んでも、テレビを見られるようになっても、ネットを見られるようになっても。

わからないけど、ただただ、悲しいと。でも、直接の被害に遭っていない私が悲しむのは偽善じゃないかと思えて。

だから生理の話になった時に、自分なりにショックを受けていたんだと、それくらいなら許されるかと思ったのかもしれない、と。

マックのてりたま、月見と私的コーヒー問題

てりたまの季節が来ましたね!

てりたま好きだと思ってたので早速マックに行ってきたんですが、朝早かったこともあり朝マックで食べました。

でも食べてみるとなんか違う・・・

これって、バンズじゃなくてマフィンだからかな、と思ったんですが、やっぱり違う。「月見も美味しかったのに・・・。ていうか、月見とてりたまって違うのか?違うよね。どんな違いがあるんだ!?」てな感じで調べてみたら玉子以外は全然違うんですよね

【月見とてりたまの違いとは】

月見:ビーフパティ、オーロラソースのようなソース、ベーコン

てりたま:ソーセージパティ、てりやきバーガーと同じソース、レタス

すごく大まかな書き方になってしまいましたが、ざっとこんな感じ。

勘違いしていましたね。どうやら私は月見を想像して頼んでいたようです。

てりたま美味しいんですけど、てりやきソースの味付が濃くて全部食べるの辛かったんですよね。納得ですね。

【私的マックのコーヒー問題】

さて、話は変わりますが、私がマックによく行くようになったのはここ最近(数年)です。

高校生まではマックを含めたファストフードによく行っていたんですが、大学生くらいからはコーヒーショップと言われるようなお店に行くようになりしばらく遠ざかっていました。(この流れ、共感していただける方いるんじゃないかな?)

きっかけは、職場の上司が「マックのコーヒーすごい美味くなってる!」と言っていたことです。

実際に飲んでみたら美味しくてそこからコーヒーだけ買って帰ることが多くなりました。たまにですが、ついでにアップルパイやポテトも買ってしまったり・・・値段も安いですからね。

ラテも好きなので最近はたまに頼むんですが、ここで一つ思ったこと。

「コンビニのコーヒーも最近美味しくなってきた。むしろ買う手間はコンビニの方が楽なくらい。ついで買いだから。事実、最近はローソンでよく買ってる。ラテなんかだと金額もほとんど変わらないとなると、マックでこのままコーヒーを飲み続けるのだろうか・・・」

コンビニの充実度はほんとすごいと思います。陳腐な言葉ですが、言いようがないんです。なんでもそれなりのクオリティで「丁度いい」んですもん。

生活圏内にあったミスドが何店舗か閉店したんですが、コンビニでもドーナッツを売るようになったのもその一因だと言われているようです。

ただ、コーヒーはマクドナルドの中ではただのサイドメニューだからそこまでの影響はないと思いますが、私の行動には影響してくるなぁ、ていう小さくて大きな問題でした。

でもコンビニのドーナッツは全部が全部美味しいわけじゃないし、たまに美味しいドーナッツが食べたい時があるのに・・・

 

 

今日はアカデミー賞でしたね

新聞を見て「今日はアカデミー賞なんだ~」と気付きました。

映画は好きですし、俳優にもそれなりに興味もあるんですが、「誰がとったんだろう?」程度で大した驚きとかも感じないのは、私、本当は映画好きなじゃないのかな・・・とか、不安になります。(嘘です。全く気にしてません。)

好きな映画はハリウッド映画で、メジャーなもの。単館系も好きですが、フランス映画はあまり得意じゃないです。(観ますけど、わからずじまい、という残念さ。)

昔、映画好きな友人がいたんですが単館系が大好きな子で、メジャー(リーグじゃないです)好きを非難されたことを今でも覚えています。

その子はおしゃれも独特な個性の光る子でした。

でもですね、私は声を大にして言いたい!

「メジャー好きで何が悪い!?」と。

あんな規模のものを作れるお金があるハリウッドは大したものだと思うし、子供でも分かるものは大人でも大概分かる。

分かりやすいすごさや感動って素直に面白い。

正直、今でも児童文学大好きですしね。

で、たまにちょっと意地悪な見方で、アメリカ社会の矛盾という格好いい言葉ではなく、「アメリカ人て不思議~」とか色々思ってたりして・・・

ちょっと関係ないんですが、父が言ってたことがあるんです。

テレビの「世界の衝撃映像」みたいな番組でアメリカのどこかで1頭の猫か犬が穴かなんかに落ちて消防団まで来て助けた!感動!みたいな映像だったんですが、そこで父が「アメリカ人ていうのは面白いな~。銃が普通に身近にある生活で銃犯罪も多いのに、一方ではあんな小さな動物の命をみんなで助ける、てな。」と言って笑っていたんです。

意味はわかるような、本当の意味でわかってるのかわからないような。だって、彼、本当に面白そうに笑ってるから・・・

アメリカを例にだしてみましたが、これ、全ての国に言えることでして。

映画はやっぱり映画で作り物の世界だと当然思うけど、人の考えや行動というのは当然生まれ育った社会の影響が出てくるもの。それは日本人のそれと一緒で。そういう意味でも、映画って面白いし、興味深い。

アカデミー賞のレッドカーペットも然り。素晴らしいエンターテインメントですよね。

 

モコモコ

今日で2月も終わりです。

昨日雪が降る中、犬の散歩をしながら「雪は降っているが1月の寒い時期とは風景が違う気がする?ゆるんでいる感じ。空気かな?やっぱり暖かくなってるのかな?」などと考えていました。

ついこの間、年が明けたかと思ったらもう2カ月も経つなんて時間が過ぎるのは本当に早いですね。

寒いとダウンコートを着て、モコモコブーツを履くのが私の定番なんですが、以前、友人に「身動きがとれなくて嫌だよね」と言われました。が、実は私、その身動きとれない感じが大好きなんです。

特に雪が降って足元が危ういような時、足元を確認しながら少しずつ進むのが。

(ちなみに、うちのワンコが好きなのは積もった雪の中に顔を突っ込んでデスマスクを作ることです。)

ずいぶん昔、「ロングバケーション」というドラマで、稲盛いずみさんがドラマの中で「子供のままでぶかぶかなハイヒールを履いている気がする」というようなセリフを言ったのを覚えています。

これ、くさいセリフのようですがうまいこと言い当ててるな、と大人になった今は思うんです。

大人になってから、仕事の時は仕事モードでなんだか話し方までしっかりしているし、化粧も服装もそれっぽくて。でも、素に戻る時ありますよね。

そんな時に、すごく自分に合わないブカブカな格好をしている気がするんです。ハイヒールに慣れても痛い時は痛いし。

 

モコモコな格好で、ゆっくり足元を確認しながら歩いている時は素にもどってます。安心するんです。

ゆっくり歩いてもいいし、ちょっと道からそれて歩いてもいいかな、とか考えてます。

 

変な夢

私はよく変な夢を見ます。しかも、微妙に怖いやつです。

この間はジョーズのシャチバージョンで、舞台は海ではなく陸(建物の中)でした。

建物の中を走る川か海かを泳いでいたシャチと目があった瞬間に「くる!」と感じて(なんの感かわかりませんが)、建物の奥へと逃げ込みました。

その後、建物の中を歩きまわって(追いかけられたわけではありません)いる最中に、館内放送で「シャチが建物の中に入り込んだ」という情報を得て、「やっぱり私の勘は当たった!」と思うのですが、そのシャチがどこにいるのかはわかりません。

しばらくしてからこれまたなぜか父に会ってシャチのことを聞いたところ、目撃したと言います。恐怖を感じながら父に「どうだった!?」と聞いたところ「大きかったけどな、でも、魚だからビチビチしてほとんど動けてなかったよ。」という返事で「やっぱりそこは魚だよな」と妙に納得して終わるという夢です。

ジョーズのあそこまでの大きさや獰猛さはあり得ない!と感じながら、魚だから陸上は不得手という所があり得るかな、というのが目を覚まして最初に思ったことです。それにしても、あのジョーズを思わせる映像は絶対に小学生くらいの時に父が居間で観ていた「ジョーズ」を偶然目にしてしまい、恐怖に震えた過去の影響なのか?でも全く思い出したこともないけどね?とか、そういえば父も出てきたし?と自分なりに分析をしましたが、全くわかりませんでした。

すごくどうでもいい夢の話をしてしまい、申し訳ないです。

でも、話せて楽しかった~